人類を救う月の船はどこに来るのか?|【小説感想】つきのふね/森絵都

小説感想

今回は森絵都さんの小説、つきのふねの感想を書いていく。

私にとって初めての森さんの小説である。
意図的に避けていたわけではないが、森さんというと何となく児童文学的というか、ティーンエイジャー向けというイメージがあり(実際にこの本も野間児童文学賞を受賞している)、ティーンをとっくに抜けてしまった自分には何となく縁遠いものに感じていた。
この本も主人公は女子中学生だ。

しかし、読んで分かった。私は児童文学を舐めていたのかもしれない。そして、自分の学生時代を美化しすぎていたかもしれない。明るいだけではない青春のヒリヒリ感、学校という狭い世界の中で感じる閉塞感や無力感、そういったものが読んでるうちに一気に私を襲ってきた。
確かに中学生だった当時、そんな感覚もあった。アラサーとなった今は「あの頃は楽しかったなー」などと思っているが、中学生なりに必死で様々な問題(だと当時は信じていたもの)に向き合っていた。そしてその狭い世界を一緒に生きていた友人たちが心の支えでもあった。

『つきのふね』は明るいだけではいられなかった青春と様々な形の友情を描いた、”児童文学”の傑作である。

※核心的なネタバレは避けていますが、ストーリーには触れます。

書誌情報

書名:つきのふね
作者:森絵都
出版:2005/11/25(文庫版)
   (初版発行は1998/6/24)
頁数:224ページ

あらすじ

あの日、あんなことをしなければ…。心ならずも親友を裏切ってしまった中学生さくら。進路や万引きグループとの確執に悩む孤独な日々で、唯一の心の拠り所だった智さんも、静かに精神を病んでいき―。近所を騒がせる放火事件と級友の売春疑惑。先の見えない青春の闇の中を、一筋の光を求めて疾走する少女を描く、奇跡のような傑作長編。

「book」データベース

この本のテーマ・描かれているもの

  • 友情をテーマとした青春小説
  • 中学生という微妙な登場人物たちの心情
  • 奇麗なだけではない、青春の影の部分
  • 心を病み、社会生活が送れなくなった人間の苦悩と崩壊
  • 90年代末期、世紀末の独特の空気感

感想

若さゆえの過ち

序盤から重い。

主人公のさくらは親友だった梨利と四十八日間も口をきいていない。梨利のことが好きな勝田くんはそれを気にしていて、二人を仲直りさせようとしている。そんなある日、さくらは人類を救う宇宙船の設計を目指す智さんという青年に出会う。
こう書くと、清らかな青春ファンタジーのように見えるが、実際のストーリーでは登場人物の行動の裏に犯罪や裏切り、精神性の病気が潜んでいる。

著者のイメージとタイトルから割とキラキラで瑞々しいストーリーを予感していた私の心はかなり早めに闇に突き落とされた。

登場人物のほとんどが私より若いことでより心が締め付けられる。
遊びでやっていたものが過激化してしまい犯罪に手を染めてしまったり、人にうまく助けを求められず自分の内面から腐って行ってしまったり、自分自身が経験していなくても周りの誰かが陥っていたような青春の影の部分がまざまざと描かれている

更に、その若さゆえ、登場人物たちには問題に対する手立てがとても少ない。お金も人脈も経験もない無力さ。大人には正直に話せないことも多い。そして手立てが少ないがために前の問題が解決しないまま次の問題が降ってくる絶望。終盤まで不穏さを持ったまま物語は進行する。

ノストラダムスの予言

さらに物語に影を落としているのが、時代設定である。この物語は1998年が舞台だ。
かの『ノストラダムスの大予言』の前年である。

若い方々はピンと来ないかもしれないが、『ノストラダムスの大予言』とは日本人作家の五島勉氏が書いた本のことである。ノストラダムスというフランスの占星術師が「1999年の7月に恐怖の大王が来て人類が滅亡する」と予言した、その本には書いてあるのだ。『ノストラダムスの大予言』は1973年に出版されるとすぐミリオンセラーとなり、人類滅亡の予言は瞬く間に日本中が知ることとなった。
現代であればふざけた陰謀論の一つにでもなりそうだが、ネットも今ほど普及していなかった当時、この予言をちょっとでも信じていた人は割といたのである。

『つきのふね』の登場人物たちは、人類滅亡に対して様々なスタンスをとっている。滅亡を望むもの、どうせ滅亡するんだからと自傷的に生きるもの、人類滅亡を回避するための行動に打ち込むことよって現実から逃避するもの…どれもまたネガティブである

世紀末の空気感が解決しない問題たちをより停滞しているかのように見せてくる。

登場人物たちをつなぐ友情

物語全体を覆う重たい空気に差す一筋の光、それが友情だ。
解決できる手立てが少ない以上、その少ない手立てに全力で縋るしかないのである。

救いたい相手となんとかコンタクトを取り、言葉をかける。
少ない知恵を全力で絞って、人に寄り添っていく。
そうやって支えあいながら、何とか絶望の中を歩く。
歩き続ければ、やがて大きな光が見えてくると信じて。

登場人物たちの健気な姿に、自分も人に寄り添われて救われたことが思い出される。
そして、私はだれかを救うことがあったのだろうか、と若き日の自分い思いを馳せる。
終盤で物語が加速していく中、私は自分の過去を思い出し、感傷に浸っていた。
この郷愁は個人的には”児童文学”に触れたことでの大きな収穫だった。
全然好きな言葉ではないが、エモかった。

この感想文を読んでいただいた方にも、ぜひ『つきのふね』を読んでエモさを体感してほしい。
そして、暗がりから抜け出そうともがいた登場人物の結末を見届けてほしい。
つきのふねが来るかどうか、確かめてほしいのだ。

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